パリオリンピックでメダルが期待される北口榛花選手は、笑顔と明るい人柄で海外の選手からも愛されています。
北口榛花選手の母親は元バスケットボールの実業団に在籍、父親も学生時代はバスケットボールをやっていて、両親は娘にバスケットボールをやらせようとしたといいます。
体作りのために3歳から水泳を始めたものの、その後バスケットボールではなくて陸上のやり投げへ。やり投げを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
身長179cmの長身なら、両親がやっていたバスケットボールやバレーボールやメジャーな競技もあるのになぜやり投げ?
北口榛花選手はなぜやり投げ?についてまとめました。
北口榛花はなぜやり投げを始めたか
やり投げって普段やる機会はないと思うけど、他のスポーツもいろいろとある中で、けっしてメジャーとは言えないやり投げを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
最初は水泳で泣き虫だった
北口榛花選手の両親はどちらも元バスケットボール選手で、北口榛花選手にもバスケットボールをやらせたかったようです。
その体力作りのために3歳の頃から水泳を習わせたました。
小学3年生の頃に北口榛花選手が通っていたスイミングスクールの指導者によると、北口選手は体は他の子よりも大きかったけど特に目立つところはなかったといいます。
スイミングスクールに通っていた頃の北口榛花選手
出典:みんなでプラス
練習になかなかついていけなくて「本当にただただ泣いていましたね。」といい、現在の笑顔のイメージとは違っていたようです。
それでも負けず嫌いのところは当時からあって練習は1度も休まずに、他の子に何周も差をつけられても途中で泳ぐのを止めずにゴーグルの中に涙をためながら泳いでいたそうです。
北口榛花はバドミントンに夢中だった
小学生の頃は水泳の他に バドミントンにも夢中になりました。
父親も娘の練習相手になるためにバドミントンに打ち込んだといいます。きっと娘が可愛くて練習相手になれるようにバドミントンを頑張ったんでしょうね。
中学生でもバドミントンと競泳に打ち込み、競泳で全国大会へも出場しています。
いつからやり投げ?きっかけは?
北口榛花選手がやり投を始めたのは高校1年生から、陸上部顧問の先生に誘われたことがきっかけです。
北口榛花選手は地元の北海道旭川東高等学校に進学しました。なぜ顧問の先生に誘われたかというと、北口榛花選手の中学時代の先輩が北口選手の運動神経の良さを陸上部顧問の先生に話したからです。
陸上部顧問の松橋氏は誘った理由について語っています。
やっぱり体の大きさっていうのが1つ大きな魅力です。あとはバドミントンっていうのは、やり投げの腕の振りなんかには非常に近いものがあります。水泳は肩関節の柔らかさ、バタフライなんかはいわゆる むち運動なので、そういう動きはきっとやり投げにはプラスになるだろうなっていうことは感じていました。
出典:みんなでプラス
そのとき北口榛花選手は競泳とバドミントンで頑張りたいという気持ちが強かったそうですが、「全国で上位を目指せる」と考える松橋先生の誘いから陸上部へ入りました。
やり投げ1年目で全国制覇
最初は水泳と掛け持ちでやっていて、陸上では砲丸投げと円盤投げをやっていました。
北口榛花選手は周囲を驚かせるほどの「圧倒的な肩の強さ」を持っていたといいます。
水泳を辞めて陸上に1本でやり投げを始めると2ヶ月で北海道を制覇。
1年後の高2年生で全国高校総体優勝、3年生の時にも全国制覇も達成しました。2年連続となる全国優勝を達成した北口榛花選手は、オリンピックの代表選手候補と期待される”ダイヤモンドアスリート”に認定されました。
やり投げで恩師の想像を超える成長
北口榛花選手をやり投げ競技へ導いた陸上部顧問の松橋氏ですが、北口選手の才能と成長は松橋氏の想像を遥かに超えていました。
私の競技人生の中で、あれだけの素材に出会うことは当然初めてだし、それをやっぱり大きく育てようと思ったら、けがをさせちゃだめ、(厳しく指導しすぎて)陸上に対してやる気を失わせるようなことをしちゃだめということくらいで、あとはしっかり土台を鍛えるとか、それを考えていたぐらいです。
出典:みんなでプラス
松橋氏は今では「もう教え子ではなく、1人のファンというだけ」といいます。
北口榛花選手の才能や努力はもちろんですが、才能を開花させて伸ばしてくれる指導者との出会いがあってこそですね。
北口榛花は海外の選手から愛されてる
北口榛花選手は水泳をしているときは泣き虫だったそうですが、今では笑顔と明るいキャラクターで、アスリートイメージランキングで「親しみやすい」アスリート1位に選ばれるほどの人気です。
▶ 北口榛花の母親は元バスケットボール選手「笑顔」は母譲り!親しみやすいアスリート1位
ライバル選手からも愛されるキャラクター
2023年8月に行われた世界陸上、北口榛花選手はラストの6投目で逆転優勝して、トラック&フィールド種目で日本女子初の金メダルを獲得して大きな話題になりました。
出典:THE ANSWER
銅メダルを獲得したオーストラリアの選手は、自身が投げ終えたあとは北口榛花選手の応援をして、お互いのメダルが確定すると抱き合って喜んだといいます。
インタビューでも「他の選手が金メダルを獲るならハルカに獲って欲しかったからとても嬉しい」「彼女の笑顔は本当に周りまで笑ってしまうようなもので、スーパースターよね」と北口選手を称賛していました。
銀メダルを獲得したコロンビアの選手も「みんなが叫んでいるのを聞いて負けたのを悟ったわ。でも、とても嬉しいし、キタグチにおめでとうと言いたい」と祝福。
他の選手たちも「とっても陽気で、女子やり投げ界で最も周りを笑顔にさせてくれるようなスマイルよね」と、北口榛花先取の笑顔と明るいキャラクターを絶賛しています。
北口榛花選手は世界中のライバルたちからこんなにも愛されるんですね。
北口榛花がやり投げを始めたきっかけ まとめ
北口榛花選手がやり投げをはじめたのはいつからでなぜ始めたのか、そのきっかけについて調べました。
- 3歳から体力作りのため水泳を習い始めた。
- 小学・中学では水泳とバドミントン、その当時は笑顔はあまりなく泣き虫だった。
- 北口榛花選手の先輩が北口選手の運動神経の良さを陸上部顧問の先生に伝える。
- 陸上部顧問の先生が 北口榛花選手の体格の良さ 身体能力の高さから陸上へ誘う。
- 圧倒的な肩の強さからやり投げを始める。
- 始めて2ヶ月で北海道制覇、2年生で全国優勝、3年生連続優勝しオリンピック代表候補を期待される。
持って生まれた才能とその後の並々ならない努力はもちろんですが、競技へ導いてくれるきっかけと才能を開花させてくれる指導の両方あって、世界で活躍する選手へと成長できるんですね。
笑顔と明るいキャラクターで世界のライバルたちからも愛される北口榛花選手をこれからも応援していきます。
▶ 北口榛花の母親は元バスケットボール選手「笑顔」は母譲りで親しみやすいアスリート1位