昨年プロ野球選手を引退した糸井嘉男さん。
引退した後も数々のTV番組に出演し、天然の明るさで楽しませてくれていますね。
糸井嘉男さんが引退会見で述べた「皆さんが『超人』、『超人』と呼んでくれましたが、もう『超人』じゃないのかなと。それは冗談だけど・・・(省略)」
そう、糸井嘉男さんは自他共に認める「超人」でした。
そこで、糸井嘉男さんはなぜ超人なのか、超人と呼ばれた理由や超人の始まり、超人エピソードについて調べました。
糸井嘉男が超人と言われる実績
糸井嘉男さんの父親は 元トライアスロンの選手で、母親は 元バレーボールの国体選手、母方の祖父は京都府立峰山高等学校の高校体育教師と、生まれからして「超人」の素質を備えていました。
2004年 ドラフト1位で投手として北海道日本ハムファイターズに入団
2006年 外野手転向。
2007年 一軍初出場。
2009年 一軍レギュラーに定着。
オリックス、タイガースと移籍後も活躍を続け、11年連続規定打席到達、10年連続オールスターゲーム出場を果たします。
- NPB史上初の6年連続「打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞」を達成
- NPB史上最年長盗塁王記録保持者
- 2019年までにNPB史上7位、通算出塁率.394の記録
- NPB史上9位、9度の打率3割マーク
- ベストナイン:5回
- ゴールデングラブ賞:7回
- 月間MVP:3回
高い身体能力から、ミート力・長打力・走力・守備力・送球力 に優れた“5ツールプレイヤー”として活躍しました。
糸井嘉男が超人と呼ばれる身体能力
野球選手として華々しい記録を作った糸井嘉男さん。
身長:188cm、体重:99kg の恵まれた体格に加えて、その身体能力の高さは プロ野球選手になった当初から注目されていました。
糸井嘉男の超人的脚力
一塁到達タイムは4秒を切り、バントヒットでは一塁到達3.54秒を計測したこともあります。
プロ選手の平均は、右打者4.3秒、左打者で4.2秒、4秒フラットで俊足と呼ばれるレベルです。
左打者の大谷翔平選手の一塁到達タイムが平均4秒09で「メジャー最速」と言われています。
メジャーリーグ一流選手の最速タイムが 3秒台後半をマークするそうです。
糸井嘉男さんは、メジャー同等の最速レベルと言えます。
ちなみに 福岡ソフトバンクホークスの周東選手が3.5秒なので、最速を超えて もう陸上選手のようですね。
糸井嘉男の超人的強肩
遠投120メートルの強肩と制球力を持ち合わせています。
プロ野球選手の平均で100メートルを超えるくらいで、120メートルを超えるレベルで強肩と言われます。
外野の選手は、守備範囲が広いことから足が速いことと、捕殺するために、外野から強く遠くにコントロール良く球を投げることが必要とされます。
強肩と制球力を持ち合わせた糸井嘉男さん。
通常であれば、犠牲フライで3塁ランナーはホームに生還できる打球ですよね。
糸井嘉男さんの強肩と制球の良さは、走りかけたランナーに抑止力を与える大きな武器でした。
自分でつい笑ってしまうところが糸井嘉男さんらしくて好きです!
糸井嘉男はいつから超人?
元日本ハムファイターズの森本稀哲さんとの対談で、「いつから超人に?」と聞かれ、「僕もわからない。関西にトレードで帰ってから。日ハムのときは超人なんて言われたことなかった、逆に凡人だった。」と答えています。
意外ではありますが、確かに「身体能力が高い!」とはさんざん言われていたけれど、超人とは呼ばれてはいませんでした。
ただ凡人ってことはありません!呼ばれていないだけで、プロ野球選手になる以前から、身体能力の高さは超人レベルではあったようです。
糸井嘉男の大学時代の実績
高校時代は無名選手、近畿大学でも1、2年の頃はリーグ戦にも出場していませんでした。
大学3年生の秋にリーグ戦初勝利をして、4年生の春にエースとなります。ストレートの自己最速 151キロ、5勝0敗という成績で、チームのリーグ戦優勝を果たします。
そして、リーグ戦のMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝きました。
実質、大学3年秋、4年春の2シーズンだけの活躍で、ドラフト1位でプロ入りしたのです。
短期間でも、それだけ能力の高さを評価されたということでしょう。
投手から野手へ転身して才能が開花
ピッチャーとして北海道日本ハムファイターズに入団、即戦力として期待されていましたが、制球難から成績を残せず一軍登板はありませんでした。
プロ2年目で「糸井君、使えないよ」と言われ、厳しさ思い知らされたと言います。
それでも、足が速く肩が強いなど素質を見込まれて 野手への転向を勧められます。
このときチームメイトだった現在日本ハムファイターズ監督の新庄剛志さんからも 野手への転向を助言されていたそうです。
そして糸井嘉男さん自身も、投手としての挫折から「練習を全てを見直したりして、打ち込むことができた」と言います。
野手転向の 5か月後にはイースタン・リーグで月間打率.397で、月間MVPを受賞と、野手としての才能を開花させます。
通常の投手であれば「使えない」となれば そのまま戦力外となってしまいます。しかし投手でありながら野手としての能力を持ち合わせていたのですから、やはり並外れた身体能力を持っていたといえるでしょう。
「身体能力が高い」から「超人」へ進化
近畿大学の硬式野球部では、チームが全国大会の遠征に出た時、残留組はサッカー大会を行う伝統があったそうです。
近畿大学の2学年下の後輩で、オリックス時代から糸井嘉男さんをサポートしてきた阪上忠士マネジャーは、そのサッカー大会での糸井嘉男さんの印象を語っています。
「1歩の幅もジャンプの高さも桁違い。1人だけ体の大きさが3倍ぐらいに見えて、なんやこの先輩は、と…。
でも、身体能力がすごいのはもちろんだけど、並外れた努力も見てきたといいます。
その努力は、30代後半に入ってもブレることなく続いたそうです。
ある日は昼に1度ジムでウエートトレを終えているのに、「まだ鍛えられていない箇所がある」と夜11時に再びジムへ車を走らせたことも。「どこまでストイックなのだろうと、何度驚かされたことか」。
引用元:日刊スポーツ
身体能力が高いことに加えて、更に並外れた努力を積み重ねたことで「超人」になったということがわかりますね。
自主トレでは、ボディービル チャンピオンのトレーナー指導の元、ボディービルトレーニングも取り入れて、肉体を徹底的に作り上げたことも。
出典:文春オンライン
ボディービルトレーニングに密着した際のスポーツニッポンの紙面。
引退後も続く糸井嘉男の超人伝説
2023年2月に放送された『帰れマンデー見っけ隊!!』で、タカアンドトシや他のゲストと7人で、秘境で焼肉屋を探す旅に出演しました。
遠くに、文字が消えかけた店の看板を見つけて、出演者7人の中で1人糸井嘉男さんただ1人だけが「中華料理屋です」と断言、驚異の視力2.0パワーを見せつけました。
2011年オフにレーシック手術を受けて、元々の視力1.5から、視力2.0に。担当医からは「それで手術を受ける人はほとんどいない。本当に受けるんですか」と言われたそうです。
プレーに影響があったか聞かれて「やっぱりね、看板とかめっちゃ見えるようになった」と、天然のコメント、野球のプレーには「影響はなかった」と笑いを誘っていました。
糸井嘉男はなぜ超人なのか?超人エピソードのまとめ
- 両親ともにスポーツ選手で、生まれながらにして超人の素質を持っていた。
- 日本ハム時代は、身体能力は高いものの「超人」とは呼ばれていなかった。
- 大学時代から、身体能力は「超人レベル」に高かった。
- 身体能力の高さに加えて、並外れた努力で「超人」に進化した。
天然の明るさと、驚異の超人パワーで、引退後も大活躍している糸井嘉男さん。
引退した後もトレーニングは続いているようで、肉体美がかっこよすぎます。