マルちゃん「赤いきつね 緑のたぬき」のCM、昔のトレンディドラマ風のパロディで面白いですね。
そして出演している女優の麻生久美子さん、髪型で雰囲気が変わりますよねー。
なんか見たことあるけど誰?・・・あっ麻生久美子さんだ!!と、ぱっと見で誰か気づきませんでした。
麻生久美子さんは、自然体でふんわりとした雰囲気がステキな女優さんですよね。
そんな麻生久美子さん、デビュー当時の黒歴史があるとか。
以前 TV番組「A-Studio+」にゲスト出演したときに、自ら衝撃の黒歴史を語ったそうです。
そのときの番組は 残念ながら見ていなかったので、麻生久美子さんの生い立ちや、過去の黒歴史について調べました。
麻生久美子のプロフィール
旧芸名:広田 絵美
生年月日:1978年6月17日
出身地:千葉県
身長:162 cm
血液型:B型
麻生久美子さんは現在(2023年10月)45歳なんですね。チャーミングな雰囲気なので、もっと若いかと思っていました。
千葉県の自然に囲まれた田舎で育ち、幼少の頃は 川遊びや崖登りなどをして遊んだ超自然児だったそうです。
そして、幼稚園の頃からアイドルの西田ひかるさんに憧れて、アイドル歌手を目指していたと言います。
自ら芸能事務所へ履歴書を送り、1995年 漫画雑誌「週間ヤングジャンプ」の「第6回女子高生制服コレクション」でグランプリを獲得して、芸能界入を果たしました。
麻生久美子の貧乏な生い立ちといじめ
麻生久美子さんの父親は、ギャンブル好きの浪費家で多額の借金があり、家には度々借金取りが押しかけて来ていたそうです。
母親はいくつもの仕事を掛け持ちして朝から晩まで働きずくめ、それでも父親がお金を持って行ってしまうので、相当な貧乏生活を強いられていました。
着るものや食べるのにも困る生活で、毎日同じ服で登校し、川で捕ったザリガニや野草を食べたりもしていたと言います。
「貧乏」だといじめられて、石を投げられたこともあったそうです。
それでも、麻生久美子さんは当時のことを「自分のことを世界一かわいいと思っていた」と言い、「アイドルを目指してた痛い子だったから、いじめられても、しょうがない部分もある」と語っています。
大人になってからはそう思えても、当時は相当辛かったことでしょう。
麻生久美子が芸能界を目指すきっかけ
中学生になる頃には、「自分はそこまでではないな」と自分自身を冷静に見るようになっていたそうです。
それでも、「貧乏暮らしから抜け出す」「お金を稼いで母親を助ける」という思いで、芸能界を目指しました。
もちろん「アイドルが好きだから」という理由も大きいでしょうが、10代の女の子が「母親を助けるためにお金を稼ぐ」と考えていたのですから、その覚悟も相当強いものだったことが伺えますね。
麻生久美子の黒歴史「広田絵美」時代
麻生久美子さんの名前で活動する前に“広田絵美”という芸名で仕事をしていた時期がありました。
この“広田絵美”が、麻生久美子さんの言う「黒歴史」時代です。
プロフィールから消された過去
公式のプロフィールには載っていない“広田絵美”時代の活動。
ブルマ姿や、超ハイレグ水着姿が “お菓子系”と呼ばれるエロ雑誌に掲載されていたのです。
麻生久美子さんは何も知らされていなくて、雑誌を見たらエロ本で、しかも“広田絵美”という名前も知らない間に勝手につけられていたそうです。
騙されて脱がされかけたことも何度かあったようで、1歩間違えればAVの方向へ進んでいた可能性もあったといいます。
インタビューで、自ら当時のことについて語っています。
だがそれでも、麻生は芸能界から逃げ出そうとはしなかった。その覚悟の強さは、高校卒業後の進路を決める際、芸能界と並ぶ候補の一つに「風俗」を入れていたことからもよくわかる。麻生は、のちのインタビューで当時の考えをこう明かしている。
「別に風俗でもいいか、ぐらいに思ってて」
「それだったらお金も稼げるし、家にお金も入れられるから」
引用元:Asagei pius
高校生の女の子が、苦労している母親のために、風俗でもいいからお金を稼ぐ!と考えていたのですから、相当な覚悟ですよね。
今でも“広田絵美”時代の写真は出回っていて、Amazonでも当時のポスターが販売されています。
出典:Amazon
この写真を見ただけでは麻生久美子さんだとは気づきませんが、透明感があってキレイですね。
麻生久美子の現在への転機
当初は女優業にはあまり興味がなかったそうですが、マネージャーの勧めで、1998年公開の映画『カンゾー先生』のオーディションを受けて見事合格。
日本映画界の巨匠・今村昌平監督の作品で、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞など数々の映画賞を受賞し、女優としての地位を確立しました。
今村監督は、麻生久美子さんを気にかけて『映画に出続ける女優になってほしい』『トレディ・ドラマに出るような女優にはなってほしくない』と、アドバイスを送ったそうです。
本格派女優のイメージが定着していましたが、2006年に テレビ朝日系のTVドラマ『時効警察』で、民放の連続ドラマ初出演で、初のコメディーに挑戦。
それまではキレイだけど、あんまり印象は強くなかったのですが、『時効警察』から一気に存在感と認知度がアップしたと思います。
コミカルな役どころで、麻生久美子さん自身も、冗談っぽく「この番組に出るまでは、もっと神秘的なイメージの女優だった」と語っています。
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麻生久美子「赤いきつね」CM女優の黒歴史とは!まとめ
現在の活躍だけを見ていると、順調に成功して活躍している女優さんとしか思いませんでした。
壮絶なほどの貧乏な生い立ちといじめ
苦労する母親を助けたいことから芸能界でお金を稼ぐことを考え、風俗でもいいと思うほどの覚悟を持っていたとは知ってびっくりしました。
ふんわりした雰囲気ですが、苦労しながら成功した芯の強い女優さんだと知り、麻生久美子さんがもっと好きになりました。