パリオリンピックでメダルが期待されるバレーボール日本代表。
日本代表選手の、イケメンでかっこいい髙橋藍選手は、高校3年生のときに、春高で優勝しMVPを受賞、史上最年少の19歳で東京五輪に出場し、大学生のときにイタリア・セリエAでプレー。
イケメンの上に、選手としても超一流とは本当にかっこいいですよね。
今年5月に、2歳年上の兄・髙橋塁選手が所属するサントリーサンバーズへ移籍することを発表。
高校生のとき以来、藍選手と塁選手の兄弟がチームメートとなりました。
塁選手と藍選手は「らんるい」のYoutubeチャンネルも持っている仲良し兄弟として有名ですね。
そんな髙橋藍選手と髙橋塁選手の、子どもの頃から現在までの仲良しエピソードをまとめました。
髙橋藍と髙橋塁の仲良しエピソード
バレーボールは始めたきっかけは、髙橋塁選手が小学校3年生のとき、女子バレーボールの栗原恵選手に憧れたことです。
兄が入ったバレーボールクラブの監督が、練習についてきた小学1年生の藍選手の身体能力を見抜いて熱心にチームに誘ったことで、兄と同じチームに加入することになりました。
髙橋塁と髙橋藍の幼少時代
兄は穏やかで、弟は勝ち気、いつも一緒に遊んでは弟がちょっかいを出して、兄に負けて泣いて終わる。
兄弟ゲンカは日常茶飯事で、ケンカのきっかけはいつも弟の藍選手だったそうです。
天使すぎる「らんるい」兄弟!
出典:NunberWeb
藍選手は幼少の頃から身体能力が抜群で、前転や鉄棒の逆上がりも、兄よりも先にできたといいます。
髙橋塁と髙橋藍の小学校時代
同じチームの同年代の中でもダントツに身体能力が高くて、バレーボールが上手だったという髙橋藍選手。
バレーボールが大好きな塁選手は、家に帰ってきてからも、藍選手を誘って公園で2人でバレーボールをしていたそうです。
藍選手はレシーブが好きで、塁選手がスパイクを打って、藍選手はひたすらレシーブをしていたといいます。
兄の塁選手が小学校を卒業してクラブを辞めた後、「兄がいるからバレーをしていた」藍選手は、「バレーをやめたい」と言い出したそうです。
それでも親に辞めさせてもらえず、辞めたい時期を乗り越えた後は、どんどんバレーボールにのめり込んていきました。
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小学生の髙橋藍選手すでにイケメンですね、スポーツも万能で女子からはモテモテだったことでしょう。
母親の小百合さんによると、夏休みの宿題は、塁選手は毎日やることをちゃんとやるタイプ、藍選手は目一杯遊ぶために最初の数日で宿題を全部終わらせるタイプだったといいます。
髙橋塁と髙橋藍の中学・高校時代
最初は兄の後をついてバレーボールをしていた藍選手でしたが、中学では自分の意志でバレー部に入部しました。
妹の莉々さんもいて育ち盛りの3兄妹、食費はかさみ経済的にあまり余裕がなかったことから、中学時代の藍選手は塁選手のおさがりばかりだったそう。
それでも藍選手が母親に「買ってほしい」と言ったことはなく、兄のおさがりのシューズを「これがあるからええやん」と喜んで履いたといいます。
新しいシューズが欲しいという素振りも見せず、兄のおさがりを喜んでいた藍選手は、きっと母親を気遣っていたのだと思います。本当に親思いの心優しい息子ですね。
高校は、兄の後を追ってバレーボール強豪の東山高校へ進学、1年でレギュラーになり、エースの塁選手と対角を組みました。
出典:NunberWeb
負けず嫌いの藍選手は、兄の塁選手よりも上に行きたいという気持ちを常に持っていて、兄に対して次のように語っています。
「一番近くの超えたい目標であり、尊敬して、真似をした選手でした。いいお手本が近くにいたというのはすごくでかいことだったのかなと思います。」
引用元:NunberWeb
持って生まれた身体能力の高さと、塁選手が身近にいてさらに上を目指したことで、藍選手はどんどん成長していったようですね。
日本代表の藍とVリーグの塁選手
塁選手が高校3年生の頃、高校1年生の藍選手がすでに同じレベルだったことから次のように語っています。
この先もっと化けて、バーッと行くやろなと思っていたんですけど、想像をはるかに超えて、春高優勝。純粋に母校が優勝したのは嬉しかったし、藍が活躍したのも嬉しかった。でも『越されたな』という悔しさもあった。
引用元:NunberWeb
兄としては、「弟の活躍が嬉しいけど、越されて悔しいと」いう気持ちはわかりますよね。
しかし現在は悔しいという思いはなくなったといいます。
「藍が大学1年ぐらいまではちょっと嫉妬はありましたけど、今はまったくないですね。日本代表のあんなに上まで行っちゃったんで、頼もしいというか。純粋に応援しているし、一緒にバレー界を盛り上げたいな、と」
ただ、藍選選手の活躍により、塁選手は「藍くんのお兄ちゃん」と言われることが増えて、藍選手によって知名度が上がったことへのプレッシャーを感じて悩んだ時期もあったそうです。
しかし、チームの先輩から「そのポジションはお前にしかできないし」と言われてて救われたといいます。
「今は、藍が頑張っているから、僕も頑張れます」と塁選手はいいます。
尊敬している選手は?という質問に「藍」と即答する塁選手、弟を尊敬すると素直に言える塁選手は優しくて素敵ですね。
高校以来のチームメイト
髙橋藍選手は、イタリア・セリエAから兄・塁選手のいるVリーグのサントリーサンバーズへの移籍を発表。
それに対して塁選手は、「一緒に飲みに行ったり遊べることを楽しみにしている」とビデオメッセージを送り、髙橋藍選手は「兄がいることも背中を押された」とサントリーへの移籍は兄の存在があったことを明かしました。
高校以来の一緒のプレーを楽しみにしている兄・塁選手と弟・藍選手
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YouTubeの「らんるい」チャンネルでは、運転免許を取得した藍選手の初ドライブの様子を公開
髙橋藍・髙橋塁「らんるい」兄弟の仲良しエピソード!まとめ
幼少期からずっと仲良しの藍選手と塁選手「らんるい」兄弟のエピソードをまとめましたお。
- 幼少期のケンカのきっかけはいつも弟の藍選手だった。
- 小学生でバレーボールを始め、家に帰ってもいつも公園でバレーの練習をしていた。
- 中学生の頃は藍選手は兄のおさがりのシューズを履いていた。
- 高校は兄の後を追って強豪の東山高校へ進学し一緒にプレー。
- 兄の塁選手は「藍くんのお兄ちゃん」ということにプレッシャーを感じていた時期もあった。
- 今年から兄弟で同じチームでプレーすることを楽しみにしている。
兄弟で同じチームでプレーする選手は、野球やサッカー、大相撲など、いろいろなスポーツでいますが、兄弟が仲良しで一緒に頑張ってる姿は素敵だし、なんだかほのぼのとします。
高橋藍選手と塁選手が、一緒のチームでプレーをするのが楽しみですね。
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