ギャル曽根の生い立ち、父親失踪でセレブから極貧生活!大食いで家計を助ける

ギャル曽根の生い立ち、父親失踪でセレブから極貧生活!大食いで家計を助ける タレント
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タレントのギャル曽根さん、大食い&早食いなのに 美味しそうにきれいに食べることで人気ですね。

一口で大量の食べ物を口の中に詰め込んでも、口の周りを汚さず、食べ物をボロボロ落としたりもせず、ほっぺをパンパンに膨らましたりもしない、山盛りの食べ物もきれいに食べきります。

日本テレビ系バラエティ番組『有吉ゼミ』の企画『ギャル曽根VSチャレンジグルメ』コーナーで、山盛りの料理を 毎回美味しそうにきれいに食べる切るギャル曽根さんは見ていて気持ちいいです。

ママタレントとしても人気のギャル曽根さんは、TBS系列『ラヴィット!』の木曜日レギュラーとしても出演しています。

明るくて元気なイメージのギャル曽根さんですが、生い立ちは 父親が借金を作って蒸発、それまでの裕福な生活は一転して借金を負った貧乏な母子家庭となる、思ってもいない過酷な生活を送っています。

そんなギャル曽根さんの生い立ちや家族についてまとめました。

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ギャル曽根の生い立ち

ギャル曽根さんの母親・富美子さんは小学校の教師をしていました。

ギャル曽根が小学校3年生の頃に離婚して、母親と1歳上の姉、3歳下の弟との4人暮らしとなります。

ギャル曽根の幼少期はセレブ生活

母親が離婚する前、父親は建築関係の会社を経営していて裕福な生活を送っていました。

住まいは、10LDKの豪邸で家政婦も雇っていたそうです。

ギャル曽根さんは、いろいろな習い事をしていて、英会話、ピアノ、柔道などを日替わりで習っていたました。

しかし、ギャル曽根さんが小学校3年の時に父親が突然帰ってこなくなり、母親から離婚したことを聞かされたといいます。

父親の借金、蒸発で生活が一転

父親が愛人を作って、会社のお金を持ち逃げして失踪、会社は倒産して莫大な借金を負い、毎日借金取りからの電話や催促、自宅への取り立てなどに追われることになったそうです。

これまで住んでいた家は手放し、母親とギャル曽根さん、姉、弟の4人で、借家での質素な生活を送ることになりました。

今でこそ、母子家庭、父子家庭は特に珍しくはないですが、当時はまだそれほど多くなく、父親の蒸発という精神的負担も大きかったこどでしょう。

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大食いの家系

ギャル曽根さんの母親は、家計は常に火の車だったけど 3人の子どもたちに不自由をかけないようにと必死だったといいます。

しかも、家族4人揃って大食いの家系、母親は育ち盛りの子供たちに「お腹すいた」と言わせないように、かさまし料理で子供たちを食べさせていたそうです。

また、近くの山に生えているフキを45リットルのゴミ袋いっぱいに入れて持ち帰り、煮物にして夕食のおかずにしていたといいます。

マラソンと大食いで家計を助ける

ギャル曽根さんは、中学時代は靴さえあればできるという理由で陸上部に入り、同じ陸上部の姉と一緒に、商品(特に食べ物)のある市民マラソン大会に出場しては、1位と2位を取っていました。

また、育ち盛りで食べても食べてもお腹いっぱいにならず、大食い大会があると姉と一緒に出場して食べ尽くしては商品をもらっていたといいいます。

そのため地元では、市民マラソン荒らし、大食い姉妹として有名だったそうです。

父親のことはショックだろうし、子供だと周りの目を気にして卑屈になってしまうこともあるかもしれませんが、ギャル曽根さん姉妹はどんどん人前に出て自分たちにできることで家計を助けていたのですから、母親思いのたくましい姉妹ですね。

ギャル曽根さんはテレビ番組に出演した際、マラソン大会は参加費もかかることから「絶対負けられなかった。1位になれば但馬牛のステーキがもらえるんですよ。でも2位だともらえない……頑張りませんか?」と当時を振り返っていました。

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ギャル曽根が大食いタレントになる

父親の失踪で苦労したギャル曽根さんですが、高校卒業してからは親元を離れて暮らします。

高校卒業後は調理専門学校へ

高校卒業後は、兵庫県姫路市にある日本調理製菓専門学校の調理科に入ります。

母親からは毎月仕送りをしてもらっていましたが、ギャル曽根さんは学校の授業以外の時間をすべてバイトに充てて、母親からのお金には一切手を付けなかったそうです。

そして、卒業時に母親から仕送りしてもらったお金を全額返済しました。

他の友達のように遊びたい年頃でしょうが、周りに流されることなくしっかりと育ったのは、母親の苦労を見てきたからこそなのでしょう。

ギャル曽根 大食いタレントへ

ギャル曽根さんは、バイトをしていた鶏料理屋に就職しましたが、ギャル曽根さんの大食いの素質に気付いた店主の勧めで、当時人気だった大食い番組への出演して一躍人気となりました。

ギャル曽根さんのすごいところは、大食いタレントとして人気が出ても、それだけで終わらないところです。

ギャル曽根さんは「タレント活動する上での私の武器は大食いだけ。タレントを長く続けるには、大食いだけでやれない」と考えたそうです。

そして食べるだけではなく、食に関する仕事全般でアピールしようと考えて、美味しさを伝えるような食べ方や、料理をすることにも力を入れ始めたといいます。

ギャル曽根さんが、大食いタレントとしてだけではなく、ここまで人気が出た理由がわかりますね。

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ギャル曽根の父親への思い

ギャル曽根さんの父親への思いは複雑で、家族を捨てた父親ですがギャル曽根さんにとっては、たった一人の大好きな父親という気持ちは変わらなかったようです。

過去に出演したテレビ番組で、そんな複雑な心境を打ち明けたことがあります。

家では父親の話はタブーだった

母親は子どもたちに優かったけれど、父親のことになると とても不機嫌になり、父のことを聞けるような雰囲気ではなかったそうです。

家にある写真で父親が写っているものは、すべて顔の部分が切り抜かれていたほどで、家で父親の話をするのはタブーという状況でした。

顔が切り抜かれた写真というのは何だか異様に感じますが、母親の立場からすると 事業に失敗するのはまだ致し方ないとしても、愛人をと一緒にお金を持ち逃げして 借金を負わされたとなると許せないのは当然ですよね。

ギャル曽根と母親の葛藤

ギャル曽根さんが、過去にカウンセリング番組に出演した際、父親への思いを打ち明けています。

ギャル曽根さんは母親へ「私はお父さんに捨てられたのかな?」と尋ねました。

それに対して母親は「あの時、あの人には家族よりも大切なものが出来ただけであなたが悪いわけではない」と答えます。

母親となったギャル曽根さんには「父に会いたい」という気持ちと「父親に孫を抱かせてあげたい」という気持ちがあったそうです。

母親は「会うことは自由だけれど 会ってもあなたの得るものは無い」ときっぱりと伝えました。

子どもの父親への思いと、母親としての思いは違って、子供には見せていない苦労や葛藤があったことでしょう。

父親の連絡先がわからないこともあり、ギャル曽根さんが父親に会うことはありませんでした。

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ギャル曽根の生い立ち、まとめ

明るく元気なギャル曽根さんからは想像もつなかい生い立ちですね。

学生時代から 周りに流されずしっかりしたギャル曽根さんですから、大食いタレントとしてだけではなく様々な番組で活躍しているのも納得です。

  • 幼少の頃は裕福で、10LDKの豪邸で家政婦もいた。
  • 父親が愛人を作って失踪、借金を負って家を手放し質素な生活となる。
  • 家計を助けるために、マラソン大会と大食い大会で商品を稼ぐ。
  • 高校卒業後 調理専門学校へ進学、授業以外の時間はバイトに充て、母親へ仕送り金額を全額返済。
  • 就職した料理店の店主の勧めで大食い番組に出場し人気なる。

今まで何となく、明るく元気で、美味しそうにきれいに食べるギャル曽根さんが好きでしたが、母親思いのしっかりとした一面を知って、ますます好きになりました。

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