ラグビー日本代表歴代キャプテン|ワールドカップ第1回~9回キャプテンのまとめ

ラグビー日本代表歴代キャプテン|ワールドカップ第1回~9回キャプテンのまとめ ラグビー
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ラグビー日本代表の主将(キャプテン)といえば、リーチマイケル選手の名前がまっ先に思い浮かぶ人が多いと思います。

ラグビーの弱小国だった日本代表チームが、第8回ワールドカップで 優勝候補の南アフリカに勝利し、続く第9回ワールドカップで、アイルランド、スコットランドと強豪国を破り初の8強入りを果たしました。

その2大会で主将(キャプテン)としてチームを率いたのがリーチマイケル選手です。

ラグビーワールドカップ日本代表は、この2大会が注目されますが、それ以前のラグビーワールドカップで日本代表を率いた歴代の主将(キャプテン)の功績があってこそ現在の活躍に繋がっています。

そこで、ラグビーワールドカップ日本代表チームの歴代キャプテン、第1回大会から第9回大会をまとめました。

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第1回 ラグビーワールドカップ

1987年 5月22日~6月20日
■開催国:ニュージーランド・オーストラリア共同開催
■優勝国:ニュージーランド
■日本の成績:グループリーグ 3戦3敗
■日本代表監督:宮地克実

キャプテン|林敏之

・生年月日:1960年2月8日
・出身:徳島県
・身長・体重:184 cm、103 kg(現役時代)
・出身校:徳島県立城北高校、同志社大学
・在籍チーム:神戸製鋼(1996年 現役引退)
・ポジション:ロック(LO)

第1回大会 日本代表キャプテン 林敏之選手は、第1回(キャプテン)、第2回大会に出場。

ポジションは長身の選手が務めるロックです。身長は184cmで小さくはないですが、世界では190cm後半以上の選手がいる中で「世界一小さなロック」と言われていました。

その小さな体で恐れ知らずのぶつかり合いを続けて、いつの間にか 称賛と恐れを込めて「壊し屋」という愛称で呼ばれる存在でした。

第2回 ラグビーワールドカップ

1991年 10月3日~11月2日
■5ヶ国共同開催、主開催国:イングランド、共同開催国:スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス
■優勝国:オーストラリア
■日本の成績:グループリーグ1勝2敗
■監督:宿澤宏朗

キャプテン|平尾誠二

・生年月日:1963年 1月21日
・出身:京都府
・身長:180 cm
・出身校:京都市立伏見工業高等学校、同志社大学
・在籍チーム:神戸製鋼(1986-1998年)
・ポジション:スタンドオフ(SO)、インサイドセンター(CTB)

第2回大会の日本代表キャプテン 平尾誠二選手は、1986年 神戸製鋼に入社して、日本選手権で7連覇を達成。

ラグビーワールドカップには、第1回、第2回(キャプテン)、第3回大会に選手として出場。第4回大会では監督を務めて「ミスターラグビー」と呼ばれました。


出典:RUGBY REPUBLIC

そしてカッコいいです!

アマチュア時代にファッション誌にモデルとして登場したことがあり、当時のアマチュア規定に抵触したとの理由で日本代表候補選手から除外されたこともあります。

そんなことで除外されてしまうの!?と今では驚いてしまいますね。

選手を引退した後も、やっぱりイケメンでカッコいいですねー。


出典:Sportiva

1998年1月、現役を引退。神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任

2000年11月、日本代表監督を辞任。

2016年10月、53歳の若さで胆管細胞癌のため逝去。

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第3回 ラグビーワールドカップ

1995年 5月25日~6月24日
■開催国:南アフリカ
■優勝国:南アフリカ
■日本の成績:グループリーグ3戦3敗
■監督:小藪修

キャプテン|薫田真広

・生年月日:1966年9月29日
・出身:岐阜県
・身長・体重:186 cm、92kg
・出身校:岐阜工業高校、筑波大学
・在籍チーム:東芝府中(2000年現役引退)
・ポジション:フッカー(FO)

第3回大会の日本代表キャプテン 薫田真広選手は、第2回、第3回(キャプテン)、第4回大会に出場。

グループリーグ3戦目では、ニュージーランドに 17-145という記録的な大敗

W杯最多失点という不名誉な記録を残したキャプテンは、責任をとるために辞めることも考えました。

しかし「自分の経験を伝えられることはすべて伝えて、できる限りのことをやっていこう。それがあの試合のキャプテンとしての責任の取り方だ」と決めたと言います。

2000年、現役引退した後、東芝の監督に就任して3連覇達成

  • 日本代表コーチ。
  • U21日本代表FWコーチ。
  • エディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチの下で、日本代表アシスタントコーチ。
  • ジェイミー・ジョセフ日本代表ヘッドコーチの元で、戦略室長として強化担当。

引退後も日本代表を支え続けたのは、あの145失点の試合が原動力となっているのでしょう。

第4回 ラグビーワールドカップ

1999年 10月1日~11月6日
■開催国:ウェールズ
■優勝国:オーストラリア
■日本の成績:グループリーグ3戦3敗
■監督:平尾誠二

キャプテン|アンドリュー・マコーミック

・生年月日:1967年2月5日
・出身:ニュージーランド
・在籍チーム:東芝府中、釜石シーウェイブス(2000年・2004年 現役引退)
・ポジション:センター(CTB)

第4回大会の日本代表キャプテン アンドリュー・マコーミック選手の愛称は「アンガス」ですが、試合中 顔を赤くして気迫溢れるプレーを見せていたことから「赤鬼」とも呼ばれました。

1993年、来日した当時は 外国人選手を受け入れる環境が整えられてなく、通訳もいない、食べ物も合わない、練習環境も悪いなど、慣れないことだらけで 来日1年目は苦しい日々だったそうです。

しかし、自ら日本人の中に溶け込み、2年目には東芝の仲間とラグビーをすることに生きがいを感じるようになりました。

日本代表のキャプテンになったときは「自分を外国人だとは考えなかった」と言います。


出典:Sports navi

尊敬する平尾誠二監督に協力を求められ、オールブラックスのジェイミー・ジョセフ選手(第9回大会ヘッドコーチ)に 日本代表としての参加要請の電話をしたのも、アンガスキャプテンです。

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第5回・第6回ラグビーワールドカップ

2003年 10月10~11月22日
■開催国:オーストラリア
■優勝国:イングランド
■日本の成績:グループリーグ4戦4敗
■監督:向井昭吾

2007年 9月7日~10月20日
■開催国:フランス
■優勝国:南アフリカ
■日本の成績:グループリーグ1分け3敗
■監督:ジョン・カーワン

キャプテン|箕内拓郎

・生年月日:1975年12月11日
・出身:福岡県北九州市
・身長・体重:187 cm、106 kg
・出身校:八幡高校、関東学院大学、オックスフォード大学
・在籍チーム:NEC(1999-2009年)、NTT(2010-2014年)
・ポジション: ナンバーエイト(No8)、フランカー(FL)

第5回、第6回大会 日本代表キャプテン 箕内拓郎選手は、関東学院大学卒業後オックスフォード大学へ留学し、ケンブリッジ大学との定期戦に出場して「ブルー」の称号を得ます。

その、国際経験、英語力、キャプテン経験、プレー面で、日本代表に選ばれるのと同時にキャプテンに指名されました。

日本代表出場として出場した48試合中45試合でキャプテンをを務め、偉大なキャプテンとして「ミスター・キャプテン」と呼ばれました。


出典:THE ANSWER

スコットランド戦で11-32と負けはしましたが、海外記者から「ブレイブ・ブロッサムズ」と呼ばれ評価されました。

▶ ブレイブ・ブロッサムズ|ラグビー日本代表「勇敢な桜の戦士たち」の由来

第7回 ラグビーワールドカップ

2011年 9月9日~10月23日
■開催国:ニュージーランド
■優勝国:ニュージーランド
■日本の成績:グループリーグ1分け3敗
■ヘッドコーチ:ジョン・カーワン

キャプテン|菊谷崇

・生年月日: 1980年2月24日
・出身:奈良県
・身長・体重:187 cm、100 kg
・出身校:御所工業高校、 大阪体育大学
・在籍チーム: トヨタ自動車、サラセンズ、キヤノン(2018年 引退)
・ポジション:ナンバーエイト(No8)、フランカー(FL)

第5回大会の日本代表キャプテン 菊谷崇選手は、日本代表のキャプテンになるまで、キャプテンの経験はなく「自分自身もまわりの選手も全く予想しなかった」そうです。

日本代表キャプテンとして「ONE TEAM(ワンチーム)」になる事を心がけていたと言い、それは次の大会へと引き継がれ、第9回大会で「ONE TEAM(ワンチーム)」は公式スローガンとなりました。

ワールドカップで1勝もできなかったことを重く受け止め「何の評価もできなかった」と言いますが、自分の苦労や後悔が「次のチームに生かせるなら、それは良かった」と語っていました。

試合に勝てないのはもちろんキャプテンだけのせいではないのですが、やはりキャプテンとして他の選手以上に責任を感じてしまうのでしょう。

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第8回・第9回 ラグビーワールドカップ

2015年 9月18日~10月31日
■開催国:イングランド
■優勝国:ニュージーランド
■日本の成績:グループリーグ3勝1敗
■ヘッドコーチ:エディー・ジョーンズ

2019年 9月20日~11月2日
■開催国:日本
■優勝国:南アフリカ
■日本の成績:グループリーグ4戦4勝、ベスト8進出:準々決勝敗退
■ヘッドコーチ:ジェイミー・ジョセフ

キャプテン|リーチマイケル

・生年月日:1988年10月7日
・出身:ニュージーランド
・身長・体重:190cm、105kg
・出身校:札幌山の手高校、東海大学
・在籍チーム:東芝ブレイブルーパス東京
・ポジション:フランカー(FL)、ナンバーエイト(No8)

第8回、第9回大会の日本代表キャプテン リーチマイケル選手は、第7回、第8回(キャプテン)、第9回(キャプテン)と、3度のワールドカップ出場で2度のキャプテンを経験した偉大な選手です。

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前年まで日本代表のキャプテンを務めていたのは 廣瀬俊朗選手で、エディー・ジョーンズヘッドコーチから「自分がラグビー界で経験した中で、ナンバーワンのキャプテンだ」と絶賛されていました。

廣瀬俊朗の経歴|高校・大学・東芝・日本代表「世界最高のキャプテン」の現在

しかし、ワールドカップを前に、「スタメンを保証できない選手にキャプテンは任せられない」との理由で廣瀬俊朗選手のキャプテンを解任、次に指名したのがリーチマイケル選手です。

リーチマイケル選手はすぐには決められず、どうするか悩みに悩んだと言います。

東芝のチームメイトでもある廣瀬俊朗選手や周りのアドバイスもあり、キャプテンを引き受けることを了承したそうです。


出典:THE DIGEST

ラグビー日本代表キャプテンとしての活躍は、知らない人はいないと言っても過言ではないでしょう。

第8回大会では、南アフリカを破る「ブライトンの奇跡」を起こし、第9回大会ではジェイミー・ジョセフHCの元で、日本代表を初のベスト8へ導きました。

第9回ワールドカップ後は、ケガの影響から一時は引退も考えたそうです。

ジェイミー・ジョセフHCは、リーチマイケル選手の負担を軽くするためにキャプテンを解任しました。

マイケルは今でも世界屈指のラグビーの選手のひとりです。スキルや経験はチームに必要なので、これからはリーダーの責任を外し、100%プレーヤーとして集中できるようにしたい。マイケルにはラグビーファーストでいてほしい。

引用元:portiva

2023年、第10回ワールドカップでのキャプテンは、坂手淳史選手へと引き継がれました。

キャプテンはレフリーとのコミュニケーションも大切な役割なので、坂手淳史選手「英語のわかるリーチさんと一緒にやっていく」とコメントしていました。

ラグビーワールドカップ新旧キャプテンの活躍が楽しみですね。

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