廣瀬俊朗の経歴|高校・大学・東芝・日本代表「世界最高のキャプテン」の現在

廣瀬俊朗の経歴|高校・大学・東芝・日本代表「世界最高のキャプテン」の現在 ラグビー
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元ラグビー日本代表キャプテンの廣瀬俊朗さんは、2016年3月に現役引退した後、株式会社HiRAKUを設立し代表取締役を務めています。

現在は、日本テレビ系列『news zero』の木曜パートナーとして出演、ラグビーの解説、さらにドラマにも出演するなど、活躍の幅を広げています。

廣瀬俊朗さんが ラグビー日本代表時代は、エディー・ジョーンズHCから「最高のキャプテン」と絶賛され、会社設立後にはMBAを取得するなど、とにかく文武両道の“できる男”という感じがハンパなく伝わってきます。

そんな「最高のキャプテン」と絶賛されたにもかかわらず、ラグビーワールドカップ前にキャプテンを解任されました。その理由はなんだったのでしょうか。

中学校、高校、大学、トップリーグ、日本代表とすべてでキャプテンを務めた、天性のキャプテンシーを持ち、優れたリーダーシップを発揮する、廣瀬俊朗さんの経歴についてまとめました。

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廣瀬俊朗のプロフィール

エディー・ジョーンズHCから「自分がラグビー界で経験した中で、ナンバーワンのキャプテンだ」と言われるほどの優れたキャプテンシーを持つ廣瀬俊朗さんのプロフィール

  • 生年月日:1981年10月17日
  • 出身地:大阪府
  • 身長:173 cm
  • 体重:68.5 kg
  • 出身高校:大阪府立北野高校
  • 出身大学:慶應義塾大学 理工学部
  • トップリーグ:東芝ブレイブルーパス
  • 日本代表:キャップ数 28(2007年~2015年)
  • ポジション:SO、WTB

家族構成は両親と弟の4人家族で、5歳の頃から「吹田ラグビースクール」でラグビーを始めます。

このスクールを選んだ理由について次のように語っています。

実は、いくつかのスクールを見学したのですが、あるところは、試合に負けると子供を正座させて説教していた。親も僕も驚いてしまって。それに比べると吹田は雰囲気が良かったんです。

引用元:RUGBY REPUBLIC

最初は 人見知りなこともあり、行くのが嫌だったそうですが、小学生になってからどんどん楽しくなっていったと言います。

小学高学年になるとサッカーに熱中し、6年生ではバスケット、さらにはバイオリン教室にも通ったそうです。

スポーツは全般的に得意だそうですが、バイオリンは中学2年生まで続けて、あんまり上手くならなかったと言います。

弟の康二さんは、東京農業大学ラグビー部出身で、卒業後は フランスのミシュラン一つ星レストランで修業を積み、現在はフレンチレストランのシェフを務めています。

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廣瀬俊朗の出身高校

廣瀬俊朗さんの出身高校は、大阪府 北野高校です。

偏差値76という大阪府内でトップクラスの進学校で、東京大学や京都大学にも 毎年合格者を輩出しています。

中学生時代は「吹田ラグビースクール」に通いながら部活もやり、オール大阪のSOに選出されて、学業も優秀。

北野高校に進学することを決めた理由について次のように語っています。

尊敬する祖父が卒業生だったのと、伝統あるラグビー部にひかれたからです。元大阪府知事の橋下徹さんが12年上のラグビー部の先輩で、花園(全国高校ラグビー大会)に出ています。僕も5歳からラグビースクールに通っていたので、憧れました。仲のいい友達が北野を目指していて、「一緒に行きたい」と思ったのも大きかったですね。中1のときの成績は合格には程遠かったですが、目標を持つとがんばれるタイプなので、合格できました。

引用元:朝日新聞EduA

文武両道の道を歩み出したのは、北野高校を目標に決めてからのようですね。

成績がほど遠いと言いながらも目標設定する時点で すでに“できる男”だと思います。

高校日本代表キャプテン

北野高校でのラグビーは「ラグビー部はもう少し強いと思っていたんですが(笑)」と言いながらも、先輩たちが部に誇りを持ち、勉強もしっかりしている姿がかっこよくて、「北野に来てよかったなと思った」と言います。

北野高校ラグビー部時代(左から4人目)

廣瀬俊朗、高校時代
出典:朝日新聞EduA

そんな「もう少し強いと思った」北野高校のラグビー部時代は、花園経験はなく、強豪チームにはことごとく大敗したそうですが、キャプテンでSOの廣瀬俊朗選手には注目が集まりました。

高校日本代表に選出され、キャプテンとしてフランス・ウエールズに遠征しています。

ただ、このときは、個性の強い選手たちに遠慮して、うまくコミュニケーションが取れなかったそうです。

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廣瀬俊朗の出身大学

廣瀬俊朗さんの出身大学は、慶応義塾大学 理工学部 機械工学科です。

当初は関西でラグビーが強い同志社大学に行きたいと思っていたそうですが、「当時ラグビー部創部100周年に向けて盛り上がり、だんだん強くなっている慶應に惹かれた」と言います。

指定校推薦枠で理工学部を目指し、枠は1つでしたが目標に向けて集中して勉強を行い、見事たったひとつの推薦枠に合格します。

大学時代は、マンションで弟と2人暮らしで、大学へは原付バイクで通っていました。

毎日の授業では、建築物のたわみや、飛行機の揚力の実験、計算など、多岐にわたる専門知識を学び、英語で書かれた分厚い教科書を渡されて苦しむこともあったと言います。

廣瀬俊朗 トップリーグ時代

大学卒業後の進路について、大学3年生の頃は、ラグビーを続けるかどうかは決めかねていたようです。

「まだ、進路は決めていません。建築に行きたかったのですが、建築は絵が描けないと駄目だと言われて。だから、音楽のほうに進もうかと。周波数とかですね。大学院で勉強を続けることも考えています。ただ、大学院に行くとラグビーができなくなるでしょう。もし、大学院で勉強しながらでも、強いチームでやれるなら、それが一番いいですけど」

引用元:RUGBY REPUBLIC

文武両道だと、選択肢はいろいろとありますね。学歴から考えると大企業で社業に専念する道もありますが、音楽に進むことも考えていたのはなんだか意外です。

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東芝ブレイブルーパスに入団

2004年、慶応大学卒業後、廣瀬俊朗さんは東芝に入社し、東芝府中ブレイブルーパス(現東芝ブレイブルーパス)でプレーすることを選択しました。

当初ラグビーは4年間だけの予定だったようです。

「ラグビーは若いうちしかできない。勉強やビジネスは後からでもできると思った」というのがその理由だが、「プレーするのは最初の4年間だけ」という当初の約束はいい意味で反故にされ、結局は12年にわたって現役生活を続けた。

引用元:doda

他のチームからも声がかかりましたが、その中で東芝を選んだのは、廣瀬俊朗さんより上の年代で慶應出身者がいなかったので、「誰も知っている人がいないところでチャレンジしよう」と思ったのが動機のひとつだったと言います。

入団して、2年目以降レギュラーに定着し、チームのトップリーグ三連覇に貢献し、2007年から2009年度までキャプテンを務めました。

キャプテンを務めた2007年は、四連覇を逃しましたが、2008年、2009年と2度目のトップリーグ連覇に導きました。

日本代表のキャプテン

2007年 日本代表に選出されて、初キャップを獲得しましたが、その後 2012年まで代表に選出されることはありませんでした。

2012年、エディー・ジョーンズがヘッドコーチに就任して、日本代表選出されるとともに キャプテンに指名されます。

エディー・ジョーンズHCから「この人とラグビーをしたいと思わせるリーダーシップを持っている。日本ラグビーのイメージリーダーになれる。」と評されての抜擢です。

廣瀬俊朗さんもキャプテン指名には驚いたようで、このときの記者会見で「みなさん驚きましたか?僕も驚きました。」と語っているほどです。

しかし、2年目が終わったタイミングで、「キャプテン交代」を告げられます。

キャプテン就任時から「キャプテンシーは素晴らしいが、日本代表としての絶対的なレギュラーポジションを取れるかどうか」ということが懸念されていました。

それを払拭できず、「スタメンを保証できない選手にキャプテンは任せられない」ということが解任の理由です。

北野高校、慶應義塾大学、東芝ブレイブルーパスでキャプテンを務めた中、初めての解任で、「めちゃくちゃショックで、なかなか心の整理がつかなかった」と言います。

つらい気持ちの中でも、日本代表に選ばれた以上「辞める」という選択肢はなく、「キャプテンではなく 試合に出られなくてもできることがある」と気持ちを切り替えて、新キャプテンに任命されたリーチマイケル選手をサポートし、対戦相手の研究をして情報共有するなどチームを支え続けました。

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廣瀬俊朗、現役引退後の活躍

2016年3月に現役引退を発表。

同年5月に、ジャパンラグビートップリーグの「キャプテン会議」を設立して、初代会長に就任。チーム間でのコミュニケーションを促進して情報共有をしたり、ラグビー界の発展のための普及活動や、リーグ戦の来場促進、ピッチ外での社会貢献活動などを行います。

さらに、ラグビー日本代表の選手を中心に「日本ラグビーフットボール選手会」を、発起人の1人として発足させ、選手をまとめ、ラグビー協会とも協力して 日本代表をはじめとする選手の処遇改善にも取り組みました。

引退後も、すぐれたキャプテンシーを発揮してジャパンラグビー会に貢献し続けました。

2017年から2018年度まで東芝のバックスコーチを務めます。

2017年に、ラグビーワールドカップ2019アンバサダーに任命。

2019年には、TBS系ドラマ『ノーサイド・ゲーム』で主要登場人物の浜畑譲役で出演して、ザテレビジョン特別賞を受賞するなど、ラグビー以外でも多くのファンを獲得しました。

廣瀬俊朗の経歴「世界最高のキャプテン」の現在まとめ

元日本代表キャプテン、廣瀬俊朗の経歴、高校・大学・東芝・日本代表のキャプテン時代から現在の活躍についてまとめました。

  • 5歳の頃「吹田ラグビースクール」でラグビーを始める。
  • 出身高校は、大阪府内でトップクラスの進学校「北野高校」。
  • 出身大学は、「慶応義塾大学 理工学部 機械工学科」たった1つの推薦枠に合格。
  • 大学卒業後は「東芝ブレイブルーパス」に入団。
  • エディー・ジョーンズHCのもと、日本代表に選出されるとともにキャプテンに指名。
  • 2016年3月に現役引退した後、株式会社HiRAKUを設立し代表取締役を務める。
  • 引退後も優れたキャプテンシーでラグビー会に貢献。

文武両道の“できる男”廣瀬俊朗さん、とにかくかっこいいです。

廣瀬俊朗さんの活躍と貢献があったからこそ、トップリーグも盛り上がり、選手の環境もよくなっていったのではないでしょうか。

9月に行われる、第10回ラグビーワールドカップでは、解説としてメディアにも多く登場してくれると思います。

今後も廣瀬俊朗さんの活躍が楽しみです。

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