リーチマイケルはなぜ日本に?5歳でラグビーを始めて日本でのプレーを決意するまで

リーチマイケルはなぜ日本に?5歳でラグビーを始めて日本でのプレーを決意するまで ラグビー
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リーチマイケル選手は、ラグビーワールドカップ 2011年 第7回大会、2015年 第8回大会、2019年 第9回大会の3大会に出場し、8回 9回の2大会でキャプテンを務めました。

強いリーダーシップで、ラグビー弱小国だった日本を 世界の強豪国にも勝てる強いチームへと引っぱり上げたリーチマイケル選手。かっこよくて大好きです。

今年度9月に開始される第10回大会では、怪我の影響からキャプテンは解任されましたが、4大会目のワールドカップでの活躍が楽しみです。

リーチマイケル選手は、出身地の ラグビー王国ニュージーランドで5歳でラグビーを始めましたが、そこから なぜ日本でラグビーすることを決めたのでしょうか。

リーチマイケル選手が、15歳で日本に来たきっかけや、日本でラグビーを続けることを決めた理由についてまとめました。

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リーチマイケルはなぜ日本に来たのか

リーチマイケル選手は、2013年に日本に帰化して リーチマイケルという表記になりましたが、帰化する前は、マイケル・リーチという表記でした。

出身地のラグビー王国ニュージーランドでは、5歳になると当たり前のようにラグビーを始める子供が多いそうです。

マイケル少年も5歳で地元のラグビークラブに入り、すぐにラグビーが大好きになりました。

そして、マイケル少年が日本に行くきっかけとなった運命の出会いがあります。

リーチマイケルと親友イーリニコラスとの出会い

マイケル・リーチが入ったラグビークラブで、すぐに同い年のニコラス・イーリと仲良くなりました。

ニコラスの父親はニュージーランド人で、北海道大学に留学中に 日本人の母親と結婚。ニコラスは札幌で生まれて、5歳のときにニュージーランドに引っ越してきました。

ニコラス・イーリも後に日本に帰化して、イーリニコラスという表記になり、トップリーグで活躍。2022年に引退しました。

5歳の頃から一緒にラグビーをしていた 親友同士のマイケルとニコラスは、ともに地元のセントビーズ高校に入学します。

ラグビーが盛んな高校で、芝生のグラウンドが10面もあり、1000人もの生徒が1軍~3軍、年齢別に分かれて練習をするそうです。

日本では考えられない規模の大きさですね。さすがはラグビー王国です。

リーチマイケルと日本人選手との交流

高校時代に、ニコラスの父親が 日本からの留学生を受け入れる仕事を始めました。

東福岡高校、啓光学園、札幌山の手高校など、ラグビーが盛んな高校から生徒を受け入れるようになります。

ラグビー強豪国のニュージーランドですが、高校生ではみんなが強いわけではないので、日本でトップクラスの留学生は1軍でプレーしていました。

マイケル・リーチは「日本人選手はラグビーがうまいのに、どうして日本代表は弱いんだろう」と思ったそうです。

日本は過去のワールドカップで オールブラックスと対戦して、145失点というW杯最多失点の記録を残しているので、そう思って当然ですよね。

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リーチマイケル 日本に留学

日本人留学生のプレーを見て、日本に興味を持ったマイケル・リーチ少年。

リーチ家は、ニコラスの父親に頼まれて 日本人留学生を何度かホームステイさせていました。

リーチ家で日本人留学生を受け入れる

2002年から4年連続でラグビー高校日本一になった強豪高、啓光学園の生徒2人がリーチ家に来ます。

1人は 後にトップリーグの花園近鉄ライナーズでプレーをした森田尚希選手です。

マイケルはパスもキックも上手な日本人選手に、日本のことをいろいろ聞いたそうです。

日本語が喋れないので、ニコラスが来て通訳してくれたり、日本人選手も片言の英語で、ラグビーや音楽、日本の生活、家族のことなど たくさんの話をして仲良くなりました。

森田選手はマイケルに「将来、日本で一緒にプレーしよう」と言ったそうです。

このことがきっかけで日本語の勉強を始めるようになり、いつか日本でラグビーをやりたいと思うようになります。

リーチマイケル 留学生として来日

ニコラスの父親にとって、第二の故郷である札幌の ラグビー強豪校 札幌山の手高校は、ニコラスの父親の呼びかけでセントビーズ高校と姉妹校となり、交換留学生プログラムを始めます。

最初の留学生として来日したのが、札幌生まれのニコラス・イーリです。

そして、ニコラスに誘われたマイケル・リーチが2ヶ月遅れで札幌に向かいました。

当時のマイケル・リーチは体が細くて、空港へマイケルを迎えに行ったラグビー部のコーチは、マイケルをラグビー選手とは思わず、なかなか見つけられなかったそうです。

マイケルのホームステイ先は、札幌山の手高校ラグビー部キャプテン森山選手の家です。寿司店を営んでいる森山家のお父さん 修一さんも、当時のマイケル・リーチ少年について語っています。

大きいと思うじゃないですか。留学生だから。そうしたら小さい子がひとり出てきた。『ウォーリーを探せ』みたいな、しましまの服を着て、帽子をかぶって、大きなリュックを背負っていた。それがマイケルだった、ということです。身長はまだ175センチくらいだし、体重も74、5キロ。そのくらい-

引用元:デイリー

札幌山の手高校の佐藤幹夫監督も「この子は、こんなに細くてラグビーができるのか」と思ったと言います。

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リーチマイケル 日本での高校生時代

日本人留学生との交流から 憧れていた日本へ来たリーチマイケル選手ですが、日本でのラグビーは驚くことばかりだったそうです。

文化が違うので当然ですが、ラグビーが国技のニュージーランドとは、ラグビーをする環境が大きく違います。

土の上でのラグビー

ニュージーランドではラグビーは芝生でやりますが、当時の日本の高校は環境が整えられてなく、土のグラウンドで さらに石ころまで入っています。

日本の高校生は慣れているので、擦り傷を作らないように上手に転ぶのですが、慣れないマイケル・リーチは擦り傷だらけでした。

見かねた監督が、マイケルにバレーボール用の膝のサポーターを渡して、マイケルのトレードマークになったそうです。

日本での厳しい練習

日本での練習は厳しくて基礎練習が多く、ニュージーランドでは これほど走ったことはない というほどで、練習についていくのもやっとでした。

日本人のひたむきに努力して懸命に練習する姿に驚き、そして謙虚さや相手を敬う姿勢にも学ばされたそうです。

更に、ニュージーランドにはない夏合宿は一番苦しかったと言います。毎日みんなと一緒で朝から晩まで走り続け、1年生は練習の準備や洗濯もしなくてはいけません。

それだけではなく「一発芸大会」もやらされます。恥ずかしがり屋で何をやったらいいかわからないマイケルは、チームメイトから お笑い芸人「まいける」のネタを教えてもらいました。

何を言っても「どんマイケル」というネタを披露するとみんな大笑いで盛り上がったそうです。

日本での快適な生活

ホームステイ先の森山家では、マイケルを自分の子供のように面倒をみてくれて、マイケルも「お父さん、お母さん」と呼んでいました。

先に日本に来ていたニコラスも 日本語が十分に話せないマイケルのため、何度も森山家に来てサポートしてくれたそうです。

森山家のお母さん 久美子さんは、マイケルのため五十音を書いた紙を天井に貼り、話し好きのお父さんと毎晩おしゃべりをして笑って、どんどん日本語が上達していきます。

森山家で出てくる食事はすべて美味しくて日本食が大好きになりました。

久美子さん「特別扱いはなし。普通の家庭と同じ食事を出していた。うちの三男坊も高校3年。大皿でぼんと作る。餃子なら100個くらい作って。争って食べていました」

修一さん「毎日の2人の弁当を作る。3色弁当とか作ってね。大きな弁当箱にご飯を山盛り3杯くらい詰めて、上に照り焼き、ショウガ焼き、ミートボール。何でも乗せた」

久美子さん「うちを出てからもびっくりドンキーのハンバーグを3枚食べたとか。マイケルは日本のご飯で大きくなった」

引用元:デイリー

森山家に住んだのは 10ヶ月ほどでしたが。お母さんの久美子さんは「うちの四男坊だよね」と言うほど 本当の家族のように絆が強く、現在も札幌の両親の元に里帰りをするそうです。

慣れない日本の環境と厳しい練習でしたが、温かい家庭に迎えられて 日本での生活は快適だったようですね。それにしても、こんなに食べる息子が2人いたら、毎日の食事作りと食費が大変すぎる。

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日本への恩返しを誓う

高校2年生のとき、マイケルの実家が火事になり全焼してしまいます。

監督はニュージーランドへ戻るように勧めましたが、家族みんなの無事を知ったマイケルは「もう戻る場所はなくなった。自分のものも全部消えた。残ったのは 今日本にあるものだけ。」と帰らなかったのです。

監督や仲間たちは マイケルに内緒で募金を集め、ラグビー部以外の生徒や保護者も協力をしてくれて わずか4日間で約70万円を集めたそうです。

そして、セントビーズ高校から来ていた先生に、集めたお金を マイケルの両親に届けてもらうよう頼みました。

そのことを母親から聞いたマイケルは「たった1年しか日本にいない自分になぜここまでしてくれるのか。」と感謝し、「必ずラグビーで恩返しをする」と誓ったそうです。

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リーチマイケルはなぜ日本に?まとめ

母国のニュージーランドでラグビーを始めて、日本との繋がりができ、日本でラグビーをするまでをまとめました。

  • リーチマイケルは5歳でラグビーを始める。
  • 同い年で札幌生まれのニコラス・イーリと親友になる。
  • 日本人留学生がリーチ家でホームステイをする。
  • 日本人選手と仲良くなり 日本でラグビーをすることに憧れる。
  • 15歳で札幌山の手高校へ留学。
  • 厳しい練習ながら、暖かい日本の家族の元で快適に過ごす。
  • 実家が火事で全焼し、日本の仲間が寄付を集めて家族に送ってくれる。
  • 「必ずラグビーで恩返しする」と誓う。
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