リーチマイケル選手は、15歳で留学生として来日して 20歳で日本代表に選出され初キャップを獲得。ラグビーワールドカップには2011年、2015年、2019年の3大会に出場、強いリーダーシップで2014年から7年間も日本代表のキャプテンを務めた闘将です。
9月に開始される第10回ラグビーワールドカップでは、怪我の影響から日本代表のキャプテンは解任されましたが、4大会目の活躍が楽しみです。
そんなリーチマイケル選手には、現在の頼れる闘将からは想像がつかない伝説級の面白いエピソードがたくさんあります。
高校・大学時代、恋愛、現在の、伝説ともいえる面白いエピソードをまとめました。
リーチマイケル高校生時代のエピソード
リーチマイケル選手は、ニュージーランドの高校から、姉妹校である札幌山の手高校へ留学生として来日しました。
空港に迎えが来ない
来日したときのリーチマイケル選手は15歳、身長175cm、体重75kg。空港へ迎えに行った 札幌山の手高校ラグビー部の黒田コーチは、ラグビー選手らしいゴツい子を想像していたので、マイケル少年を なかなか見つけられませんでした。
「モヤシのような外国人」が不安げにキョロキョロしているのを見て、「まさか…」と思ったら まさかの「モヤシ」がリーチマイケル選手。
初めて来た異国の地で、迎えが来るはずなのに見当たらない。マイケル少年は本当に不安だったことでしょう。
リーチマイケルは「ウォーリーを探せ」のようだった
マイケル少年のホームステイ先は、寿司屋を営む森山家。寿司と揚げ物で歓迎会を準備しているのに、なかなか来ない。
待てど暮らせど来なかった。黒田先生は『そんな大きな子はいない』と言う。大きいと思うじゃないですか。留学生だから。そうしたら小さい子がひとり出てきた。『ウォーリーを探せ』みたいな、しましまの服を着て、帽子をかぶって、大きなリュックを背負っていた。それがマイケルだった、ということです。
引用元:デイリー
迎えがこない上に「ウォーリーを探せ」みたいだと言われてしまうマイケル少年。
日本食で大きくなったリーチマイケル
ホームステイ先のお父さんの修一さんと、お母さんの久美子さんは、毎日大量に食事を作ったそうです。
久美子さん「特別扱いはなし。普通の家庭と同じ食事を出していた。うちの三男坊も高校3年。大皿でぼんと作る。餃子なら100個くらい作って。争って食べていました」
修一さん「毎日の2人の弁当を作る。3色弁当とか作ってね。大きな弁当箱にご飯を山盛り3杯くらい詰めて、上に照り焼き、ショウガ焼き、ミートボール。何でも乗せた」
久美子さん「うちを出てからもびっくりドンキーのハンバーグを3枚食べたとか。マイケルは日本のご飯で大きくなった」
引用元:デイリー
寿司屋のお父さんが作る何でも乗った弁当美味しそう!でも普通の人は山盛り3杯弁当は3食分あると思う。
日本のご飯と、トレーニングで筋肉を鍛えたことにより、3年間で体重100kgまで増量。「モヤシのよう」だった頃が信じられない。
バレーボールのサポーターがトレードマーク
リーチマイケル選手が通っていたニュージーランドの高校では、芝生のラグビーグラウンドが10面あり、1000人もの生徒が1軍~3軍に分かれて練習するという環境でラグビーをしていたそうです。
来日した当時の日本の高校はラグビー環境が整えられていなくて、石ころの混じった土のグラウンドで練習をしていました。
チームメイトは土のグラウンドに慣れているので、擦り傷を作らないように転ぶのが上手でしたが、慣れないリーチ選手は転ぶたびに膝が擦り傷だらけになり、見かねた監督がバレーボール用の膝のサポーターを渡したほど。
以来、膝サポーターがリーチマイケル選手のトレードマークになりました。
一発芸大会でのギャグ
ニュージーランドにはない夏合宿は一番苦しかったと言います。毎日みんなと一緒で朝から晩まで走り続け、1年生は練習の準備や洗濯もしなくてはいけません。
初めての経験でヘトヘトになっている上に「一発芸大会」もやらされます。
恥ずかしがり屋で何をやったらいいかわからないリーチマイケル選手に、チームメイトがお笑い芸人「まいける」のネタを教えました。
何を話しても最後に「どんマイケル」というネタで、披露するとみんな大笑いで盛り上がりましたが、リーチ選手にはなにが面白いのかさっぱりわからなかったそうです。
オバケが怖くて1人で寝れない
合宿の夜、みんなでホラー映画を見てから、解散してそれぞれの部屋に戻った後、リーチ選手がチームメイトの部屋を訪れました。
「『呪いのビデオ』みたいな作品を見ていて。それで見終わって解散になったんですけど、(リーチ)マイケルが『トン、トン』って部屋のドアをノックしてきて。『オバケ、怖い…。一緒に寝て』」
と隣室に枕を持参し、一緒に寝た…という面白話を語っている。
引用元:JCASTニュース
オバケは怖いけど、1人で寝られなくて「一緒に寝て」と素直に言えるリーチマイケル選手が可愛い。
リーチマイケル大学時代の面白エピソード
高校卒業後の進学は、指導者として札幌山の手高校へ戻って来たいという思いで、教員資格を取れる東海大学の体育学部へ進学しました。
質素な大学生活
東海大学ラグビー部の寮に入ったリーチマイケル選手の部屋は、同期の1年生と4年生の先輩の3人部屋。
先輩後輩の上下関係は思ったほど厳しくなく、同部屋の先輩は優しくて 授業のレポートのチェックをしてくれたり、一緒にテレビゲームで遊んだりして、寮生活は楽しかったそうです。
しかし、授業とラグビーでアルバイトをする時間はなく、おこづかいはわずか。
普段の生活では 寮でご飯が食べられるけど、練習が休みの時期になると部員はみんな家に帰ってしまい、寮には誰もいなくなります。
お金はなく 帰るところもないリーチマイケル選手は、特別に寮を開けてもらい1人で生活。
食事はコンビニで買ったり、リーチ選手がお金がないことを知っているコーチが食料を買ってきてくれたりと質素な生活でした。
さらに寮にはオバケが出る噂があって、夜誰もいないのに人が走っている音を聞いて怖かったと言います。
一緒に怖がってくれる人もいなし、一緒に寝てくれる人もいない、広い寮にたったひとりは確かに怖い。
スパイク左足事件
大学4年生の最後の試合となった全国大学選手権準決勝で、間違えて両方左足のスパイクを持っていってしまいました。
仕方なく、練習の手伝いにきた選手のスパイクを借りたけど、「穴が開いていて、走りにくかったんですよ」というリーチマイケル選手。
右足に左足スパイクを履くよりずっとマシだと思う!
リーチマイケル選手恋愛の面白エピソード
年頃ともなれば当然恋もします。でもシャイなリーチマイケル選手は、好意を持つ女性に声をかけることもできない奥手だったようです。
あっけなく散った初恋
高校2年生のころ、ラグビー部の佐藤監督に相談をしました。
マイケルが高2の時、『先生、何も手につかない。練習も勉強も身に入りません…』って言ってきたんですよ。どうしたのかな?って思ったら、1つ年上のバスケットボール部の先輩に恋しちゃったらしい」
「初恋」だった。
憧れの先輩と「同じ大学に行きたい」と佐藤監督に直訴したが「お前では無理だ」と、一刀両断された。また、ショックを受けた。
引用元:JCASTニュース
佐藤監督あまりにもはっきり言い過ぎ!
好意を持った女性に声をかけれない
東海大学で、後に奥さんとなる知美(さとみ)さんと出会います。
構内で見かけて好意を持っていたものの、なかなか声をかけられず、知美さんはリーチ選手を「日本語がしゃべれないと思った」そうです。
初めて話しかけたのは大学3年生のとき、 リーチ選手の前の席に座っていた知美さんに、宿題のレポートについて「バトミントンの授業レポートあったよね?」と声をかけました。
知美さんは「えっ!?日本語しゃべれるの」と驚いたそうです。
リーチ選手が、それまで知美さんに声をかけることができなかった理由は、「こんな風貌の僕と、このすらっとした彼女ですから。」
自分の風貌を気にしていたとは!ひょっとして高校時代の恩師、佐藤監督の「お前では無理だ」があったから?
初めての彼女ができる
リーチマイケル選手と知美さんは、少しずつ会話をするようになり、親しくなっていきました。
勇気を出して、なんとか知美さんに告白はしたものの、そこからの進展はなし。あまりにもシャイすぎるリーチマイケル選手に対して知美さんは
「最初に『好きです』って言ってくれたのは、マイケル。その後って普通、『付き合おう』っていうふうになるじゃないですか? でも『練習が忙しい』とかで、まったく言ってこなかった。だから(シビレを切らした)私の方から『付き合ってください』って言いました」
引用元:JCASTニュース
結局、知美さんから言ってもらってたとは!知美さんじゃなかったら そのまま自然消滅だったかも。
母校で衝撃告白
第9回ラグビーワールドカップで初の8強進出を果たした後、母校東海大学でトークショーに出席しました。
トークショーの終盤、「学生さんにメッセージを」と促されたリーチマイケル選手。
なんと「僕は大学4年生までずっと童貞でした」と衝撃の告白。
その後、「彼女を作ったのは、大学3年生の時。もともとヘタレでシャイ。6カ月かけて勇気を出して『好きです』と伝えて、付き合うことができた」と続けました。
会場は拍手喝さいで大いに盛り上がったそうです。
告白したのはリーチ選手だけど、付き合うことができたのは知美さんから言ってもらったんですけどね。
東芝ブレイブルーパス時代の面白エピソード
東海大学を卒業後、たくさんの社会人チームから誘いがありましたが、リーチマイケル選手は東京都府中市に本拠地を置く東芝ブレイブルーパスに入りました。
車を持ち上げてチームメイトを救出
東芝ブレイブルーパスのチームメイト浅原拓真選手選手が酔って路上で寝ていたところ、路肩に駐車していた男性が、人が寝ているのに気が付かず車を発進。
「車を発進したら違和感があり、見たら人をひいていた」という状態。
車の下敷きになっている浅原選手を、居合わせたリーチマイケル選手たち数人で車を持ち上げて救出しました。
浅原選手は、検査入院はしたものの、かすり傷程度で済んだそうです。
軽傷ですんだのは不幸中の幸いですが、車の下敷きになったのに軽傷で済むってどいうこと。
ラグビーボールの始球式
プロ野球の巨人対広島の試合で、リーチマイケル選手と田中史朗選手が始球式を行いました。
田中史朗選手がマウンドからラグビーボールでスクリュー回転のパス、リーチマイケル選手がホームベースの位置でキャッチ。
ラグビーボールで見事なストライクパスを決めて球場はどよめきが起きた後拍手喝采でした。
盛り上がったのはいいど、ラグビーボールでの野球の始球式ってありなんだ。
レイザーラモンRGにリーチマイケルがユニフォームを送る
リーチマイケル選手のモノマネをするレイザーラモンRGは、最初はラグビーのことをまったく知らず、ユニフォームは「赤っぽい色」ということだけで、イングランドのユニフォームを着てモノマネを披露。
すると、リーチマイケル選手から TwitterのDMで「もしモノマネされるときに必要であれば、代表のユニフォームを送ります」とメッセージが来たそうです。
その後のレイザーラモンRGのモノマネでは、「リーチマイケル選手本人が届けてくれた本物」と「公認モノマネ」であることをアピールしていました。
リーチマイケルの伝説級な面白エピソードまとめ
ラグビー日本代表の頼れる闘将、リーチマイケル選手の面白いエピソードをまとめました。
- リーチマイケル選手が15歳の頃は、ヒョロヒョロのモヤシのようだった。
- 日本食を食べまくりとトレーニングによる筋肉アップで、高校3年生で体重100kgに増量。
- ホラー映画を見た後、オバケが怖くてチームメイトの部屋へ行き一緒に寝てもらう。
- 大学時代は寮で生活、練習がない時期みんなが家へ帰っても、お金も帰るところもなく、寮でたった1人で過ごす。
- 大学最後の試合、スパイクシューズを間違えて両方左足スパイクを持って行ってしまう。
- 奥さんの知美さんとは大学時代に出会うが、自分の容貌を気にして声をかけられなかった。
- 結局知美さんから「付き合ってください」と言ってもらう。
- 「僕は大学4年生までずっと童貞でした」と衝撃の告白。
子供の頃から筋肉隆々なわけはないので、「モヤシ」のようにヒョロヒョロでも別に不思議ではないのですが、日本代表のたくましい姿しか知らないとやっぱり意外過ぎます。
しかもオバケが怖くて1人で寝れず、チーメイトと一緒に寝てもらうとか、シャイすぎるとか、たくましい見た目とのギャップがありすぎですよね。
でも、そんなギャップの面白さがリーチマイケル選手の魅力のひとつでもあります。
これからも、試合でも試合以外の場所でも、リーチマイケル選手に注目していきます。
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