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ラグビー日本代表歴代 監督・ヘッドコーチ|ワールドカップ第1回~9回まとめ

ラグビー日本代表歴代 監督・ヘッドコーチ|ワールドカップ第1回~9回まとめ ラグビー
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9月に 第10回ラグビーワールドカップ2023が開催されます。

ジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチは、前回の第9回ワールドカップ2019 でも日本代表を率いて、アイルランド、スコットランドの強豪国を破り、初の8強入りへと導きました。

今回も、前大会以上の活躍が期待されます。

ヘッドコーチは、ジェイミー・ジョセフ氏と、第8回ワールドカップ2015で、南アフリカに勝利して「ブライトンの奇跡」を起こした エディー・ジョーンズ氏の印象が強いですね。

ラグビーワールドカップは、日本が大躍進を遂げた この2大会が注目されますが、それ以前のラグビーワールドカップで日本代表を率いた監督・ヘッドコーチが基礎を築いてきて現在の活躍に繋がっています。

そこで、ラグビーワールドカップ日本代表チームの歴代 監督・ヘッドコーチを、第1回大会から第10回大会をまとめました。

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第1回大会 監督|宮地 克実

1987年 第1回ラグビーワールドカップ

日本代表監督:宮地克己(みやじ かつみ)

生年月日:1941年3月10日
出身地:大阪府
出身大学:同志社大学
ポジション:プロップ(PR)
所属チーム: 三洋電機(現 パナソニック ワイルドナイツ)
日本代表監督:1978年、1984年、1987年と3度日本代表監督に就任

■日本の成績:予選プール3戦3敗
・●18ー21 対 アメリカ
・●7ー60 対 イングランド
・●23ー42 対 オーストラリア

オーストラリアとニュージーランドがワールドカップ開催を提案し、第1回ラグビーワールドカップが行われます。

各地での予選はなく、出場16ヶ国すべて招待で行われました。

宮地克実監督は、2戦目のイングランド戦で「スクラム組んだ瞬間から、もうアカンと思った」と言い、世界との差を痛感したそうです。

ワールドカップ後は、三洋電機の監督に就任し、全国社会人ラグビー大会の決勝戦に9度進出しますが、1度も優勝することができず「悲劇の名将」と呼ばれました。

第2回大会 監督|宿澤 宏朗

1991年第2回ラグビーワールドカップ

日本代表監督:宿澤宏朗(しゅくざわ ひろあき)

生年月日:1950年9月1日 – 2006年6月17日(没)
出身地:東京都
身長: 160 cm
出身大学:早稲田大学
ポジション:スクラムハーフ(SH)
日本代表監督:1989年~1991年

■日本の成績:予選プール1勝2敗
・●9ー47 対 スコットランド
・●16ー32 対 アイルランド
・○52ー8 対 ジンバブエ

成績優秀で英語が堪能、大学卒業後は住友銀行に就職します。

1977年から7年半ロンドン支店に駐在、そのため海外のラグビー戦術に精通し、海外遠征試合のテレビ解説も行っていました。

49歳で執行役員に抜擢されるというスピード出世で話題になるほどのエリートサラリーマンでした。

日本代表監督を打診された時、最初は「銀行が許してくれない」と固辞していましたが、銀行からの許可を得て、前代未聞の銀行に務めながらラグビー日本代表監督となります。

日本代表監督を退任して、1994年には住友銀行の支店長と兼任で、早稲田大学の監督にも就任しています。

2006年6月、赤城山登山中に心筋梗塞を発症、55歳の若さで死去。

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第3回大会 監督|小藪 修

1995年 第3回ラグビーワールドカップ

日本代表監督:小藪修(こやぶ おさむ)

生年月日:1947年10月24日
出身地:大阪府
出身大学:同志社大学
ポジション:スタンドオフ(SO)
所属チーム:新日鐵釜石(現 釜石シーウェイブスRFC)
日本代表監督:1992年~1995年

■日本の成績:予選プール1勝2敗
・●10ー57 対 ウェールズ
・●28ー50 対 アイルランド
・●17ー145 対 ニュージーランド

所属していた釜石ラグビー部で 選手時代はキャプテンを務め、引退後は監督に就任、日本選手権制覇に導きました。

ワールドカップでは、ウェールズ、アイルランドに大敗した後、ニュージーランドには 21トライを奪われ、145失点という、ワールドカップ最多失点記録を残しました。

この試合では、ニュージーランド相手に戦うのだから「50点差以内の敗退ならば合格点」という低い目標だったそうです。

それに対し 海外ラグビー界はプロ化へ進む前提で、ワールドカップでの活躍がプロ契約での有利な条件に繋がるため、日本と海外選手の試合に対するモチベーションが大きくかけはなれていたといいます。

監督はワールドカップ後に責任を取る形で 退任しています。

第4回大会 監督|平尾 誠二

1999年 第4回ラグビーワールドカップ

日本代表監督:平尾誠二(ひらお せいじ)

生年月日:1963年1月21日 – 2016年10月20日(没)
身長: 180 cm
出身地:京都府京都市
出身大学:同志社大学
ポジション:スタンドオフ(SO)、インサイドセンター(CTB)
所属チーム:神戸製鋼(現 コベルコ神戸スティーラーズ)(1986~1998年)
日本代表監督:1997年~2000年

■日本の成績:予選プール3戦3敗
・●9ー43 対 サモア
・●15ー64 対 ウェールズ
・●12ー33 対 アルゼンチン

史上最年少(19歳4ヶ月)で日本代表選手に選出。1986年 神戸製鋼に入社して、日本選手権で7連覇を達成しています。

ラグビーワールドカップには、第1回、第2回、第3回大会に選手として出場。第2回大会ではキャプテンを務め、第4回大会で監督となり「ミスターラグビー」と呼ばれました。

1998年1月、現役を引退後、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーに就任。

ラグビー以外でも、2008年に日本サッカー協会理事、2011年には文部科学省の中央教育審議会委員にも就任しています。

2016年10月 53歳の若さで、胆管細胞癌のため京都市内の病院で死去。

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第5回大会 監督|向井 昭吾

2003年 第5回ラグビーワールドカップ

日本代表監督:向井昭吾(むかい しょうご)

生年月日:1961年10月2日
身長: 180 cm
出身地:愛媛県伊予市
出身大学:東海大学
ポジション:フルバック(FB)
所属チーム:東芝府中(現 東芝ブレイブルーパス東京)(1986~1998)
日本代表監督:2000年~2000年

■日本の成績:予選プール4戦4敗
・●11ー32 対 スコットランド
・●29ー51 対 フランス
・●13ー41 対 フィジー
・●26ー39 対 アメリカ

第1回ラグビーワールドカップで日本代表のフルバックとして出場。現役引退後の1994年からは東芝府中ラグビー部の監督を務めて、1996年度から日本選手権3連覇に導きました。

ワールドカップ直前の強化試合では良い結果を残せず、批判を浴びながら本大会を迎えることになりました。

スコットランド戦、フランス戦で終盤に引き離されたものの、中盤まで強豪国を脅かす戦いを展開。スコットランド戦で 一時は4点差まで詰め寄り、地元のラグビーファンを熱狂させました。

開催地オーストラリアのメディアは、向井ジャパンを「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」と呼んで称賛しました。

▶ ブレイブ・ブロッサムズ|ラグビー日本代表「勇敢な桜の戦士たち」の由来

第6回・7回大会 ヘッドコーチ|ジョン・カーワン

2007年 第6回・2011年 第7回 ラグビーワールドカップ

日本代表ヘッドコーチ:ジョン・カーワン

生年月日:1964年12月16日
出身地:ニュージーランド・オークランド
身長 / 体重: 191 cm / 100 kg
ポジション:ウイング(WTB)
ニュージーランド代表(1984年~1994年)
所属チーム:NECグリーンロケッツ(1997年~1999年)
日本代表ヘッドコーチ:2007年~2011年

2007年 第6回大会
■日本の成績:予選プール1分け3敗
・●3ー91 対 オーストラリア
・●31ー35 対 フィジー
・●18ー72 対 ウェールズ
・△12ー12 対 カナダ

2011年 第7回大会
■日本の成績:予選プール1分け3敗
・●21ー47 対 フランス
・●7ー84 対 ニュージーランド
・●18ー31 対 トンガ
・△23ー23 対 カナダ

19歳6か月でニュージーランド代表となり、オールブラックスとして通算96試合に出場しています。

1987年 第1回ワールドカップでは、6トライを決めてトライ王にも輝きました。

2003年ワールドカップの向井ジャパン以後は、1年ごとに監督が入れ替わり、指導体制もその都度変わるという事態に陥ります。

3年間で3人の監督に替わった後、2007年 日本代表を立て直す役目として就任したのが ジョン・カーワンヘッドコーチです。

準備期間の少なさを言い訳にしない「ノーエクスキューズ」の姿勢を貫き、ワールドカップ2勝を目指しました。

結果は叶いませんでしたが、対戦相手のオーストラリア監督から称賛され、フィジーに4点差にまで迫り、カナダ相手にはロスタイムで同点に追いつき、連敗記録を引き分けで止めました。

その手腕が評価され 監督続投が決定し、2011年 第7回大会でも指揮を取りました。

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第8回大会 ヘッドコーチ|エディー・ジョーンズ

2015年 第8回ラグビーワールドカップ

日本代表ヘッドコーチ:エディー・ジョーンズ

生年月日:1960年1月30日
出身地:オーストラリア タスマニア州
身長 / 体重: 173 cm / 82 kg
ポジション:フッカー(HO)
日本代表ヘッドコーチ:2012年~2015年

■日本の成績:予選プール3勝1敗
・○34ー32 対 南アフリカ
・●10ー45 対 スコットランド
・○18ー72 対 サモア
・○12ー12 対 アメリカ

父親はオーストラリア人で、母親は日系アメリカ人、妻のヒロコ夫人は日本人です。

シドニー大学を卒業後は、教員として体育を教えていました。

ノンキャップでラグビー指導者の道へ進み、1995年に東海大学ラグビー部のアシスタントコーチとして来日し、1996年に同部のコーチに就任、日本代表のフォワードコーチも兼任します。

その後スーパーラグビーでオーストラリアチームのヘッドコーチを経て、2003年 第5回ワールドカップでオーストラリアチームを率いて準優勝します。

2007年には、南アフリカ代表のチームアドバイザーとしてワールドカップ優勝へ貢献。

2009年~2012年、サントリーサンゴリアス のGM、ヘッドコーチを努めた後、2012年4月に日本代表ヘッドコーチに就任します。

「ジャパン・ウェー」を掲げて日本チームを鍛え上げ、20年以上かけても1勝しかできない弱小チームの日本が 優勝候補の南アフリカに勝つ「世紀の番狂わせ」を起こして、「ブライトンの奇跡」と称賛されました。

▶ ブライトンの奇跡とは?映画化もされた「世紀の番狂わせ」はなぜ起きたのか!

第9回・10回大会 ヘッドコーチ|ジェイミー・ジョセフ

2019年 第9回・2023年 第10回ラグビーワールドカップ

日本代表ヘッドコーチ:ジェイミー・ジョセフ

生年月日: 1969年11月21日
出身地:ニュージーランド
身長 / 体重: 196 cm / 105 kg
ポジション:フランカー(FL)、ロック(LO)、ナンバーエイト(No.8)
ニュージーランド代表:1992年~1995年
日本代表選手:1999年
日本代表ヘッドコーチ:2016年~

■日本の成績:予選プール4戦4勝、ベスト8進出:準々決勝敗退
・○30ー10 対 ロシア
・○19ー12 対 アイルランド
・○38ー19 対 サモア
・○28ー21 対 スコットランド
・●3ー26 対 南アフリカ

1995年 第3回ワールドカップで、日本代表が 17ー145で負けた試合にオールブラックス選手として出場していました。

1999年 第4回ワールドカップでは日本代表選手として出場、日本代表で9キャップを獲得しています。

2003年から指導者の道へ進み、スーパーラグビーチームのヘッドコーチとして優勝、スーパーラグビーの全日程が終了した後、2016年9月に日本代表ヘッドコーチに就任します。

この大会で、日本代表は優勝候補のアイルランド、スコットランドを破り、予選プール戦4戦全勝で初となるベスト8進出を果たしました。

決勝トーナメント準々決勝で南アフリカと対戦し敗れますが、その手腕が高く評価され、ワールドラグビーが選出する2019年の年間最優秀コーチ賞にノミネートされました。

ニュージーランド代表のヘッドコーチ候補にもあがりましたが、日本代表ヘッドコーチの契約を更新し2023年12月31日まで指揮を取ることが決定。

9月に行われる第10回ワールドカップへと挑みます。

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